モテナス日本の華道体験
- オーダーメイドだから場所を選ばない
- 厳選された講師による英語での丁寧な対応
- チームビルディングや企業研修の対応も可能
\まずは、お気軽にご相談ください!/
日本の伝統文化である「華道」。
華道には500年以上の歴史があり、時代の流れに翻弄されながらも変化を伴って発展してきました。
今回はそんな奥深い【華道の歴史】を徹底解説!
華道の魅力や素晴らしさを感じながら、外国人のお客様の接待にも役立つ【華道の歴史】を深堀りしていきましょう。
華道の魅力とその歴史的背景
華道は日本が発祥の伝統文化ですが、どのように生まれて現代まで受け継がれてきたのでしょうか?
まずは華道の魅力とともに、その歴史的な背景を紹介します。
華道とは何か?
華道とは四季折々の草花を生けて、その美しさを楽しむ日本の伝統文化です。
これは四季がある日本でこそ誕生した芸術と言えます。
華道は、この四季の草花の「命の尊さ」を表現する芸術。
同じ花の芸術として西洋の「フラワーアレンジメント」が挙げられますが、フラワーアレンジメントは生ける人の個性を大切にするのに対し、華道は素材としてつかう草花を主役としているのが大きな違いです。
また華道は生けた草花の間にある「空間の美」も大切にするのが、大きな特徴。
フラワーアレンジメントが「足し算の美学」であれば、華道は「引き算の美学」であると言えます。
日本文化における華道の位置づけ
華道は550年以上もの歴史がありますが、その技法や作風、位置づけは時代とともに変化をしながら受け継がれてきました。
もともとは貴族だけが楽しんでいた芸術文化でしたが、時代の流れによって庶民にも広まり、学校教育にも「教養」として取り入れられる存在に。
現代では数百の流派も生まれ、海外でも支持されています。
起源と初期の発展
そんな歴史ある華道の起源は、飛鳥時代~南北朝時代。
諸説ありますが、宗教の儀式として発祥したのではないかとされています。
まだ「芸術」として花を生けるのではなく、あくまで捧げものや依り代(神が宿るものと考えられているもの)としての意味合いが強かったようです。
ここから室町時代に向けて貴族文化として発展していくことになるのですが、果たしてどのように芸術へと進化するのかをみていきましょう。
華道の起源:宗教的儀式としての始まり
仏教が日本へ伝わったことにより、仏に花を供える「仏前供花」が広まりました。
これが【華道の起源】ではないかと考えられています。
日本には古くから「自然に神が宿る」という考え方があり、草花にも神が宿るとして崇拝の対象としていたのです。
仏教での供花は、仏教の生まれたインドに多い連の花が代表的ですが、日本では季節折々の花が供花として選ばれるようになります。
平安時代の華道:貴族文化としての発展
平安時代には貴族文化として花が楽しまれるようになります。
お花見や紅葉狩り、宴などで花を楽しんだり、花瓶に花を投げ入れたように生ける「なげいれ」を家に飾って楽しむ貴族たちもいたようです。
平安時代の資料には、テーブル状の卓の上に蓮の花が花瓶に挿されている画、梅や桜などを楽しむ宴を催したことがわかる歌なども見られます。
室町時代:華道の多様化と流派の誕生
室町時代が、華道にとって大きな発展を遂げた時期と言えます。
というのも、この時期に華道の多様化や流派の誕生が起こるからです。
華道の元祖である「池坊」が生まれたのが、この時代。
池坊は現代でもつづく華道の流派で、日本最古の流派とされています。
一体どのように華道が誕生し、日本の伝統文化として受け継がれるまでになったのか、みていきましょう。
室町時代の社会的変化と華道
室町時代は能楽や茶の湯といった、日本の伝統文化が多く作り出された時代です。
華道もこの時代に生まれ、現代まで受け継がれていくことになります。
まず、室町時代になると中国大陸から「唐物」という器が日本へ多く輸入されるようになり、このような器が増えたころに「書院造」と呼ばれる畳や違い棚などのある建築様式も誕生します。
この書院造は、現在の和風建築の基本にもなっており、室町時代では客人を迎える間として、将軍などの権力のある人物の住居に用いられるようになりました。
そしてこの書院造に、飾りとして花や唐物の器などが飾られるようになるのです。
その時代の中で、六角堂の僧侶であった「池坊専慶」という人物が挿した花が評判になり、それまでの「仏様や神様へ供える花」という概念を越えるものだったといいます。
もちろん、この池坊専慶とは現代に残る最古の流派である池坊の始祖。
さらにここから室町時代の後期に向けて、華道は大きく発展をしていきます。
主要な流派の成立とその特徴
室町時代の後期になると、池坊専慶によって行われた生け花は「池坊専応」という華道家によって技法などが整理され「いけばな理論」が確立します。
この「いけばな理論」は、思想的な面も含め【池坊専応口伝】という花伝書にまとめられ、弟子に伝えられるように。
先述のとおり池坊は、華道の元祖として現在も残る最古の流派で「池坊は従来の挿花のように単に美しい花を愛でるだけではなく、草木の風興をわきまえ、時には枯れた枝も用いながら、自然の姿を器の上に表現するのだ」(引用元:華道家元池坊 公式サイト「いけばなの理論の確立」)という思想を説いています。
つまり現代でも華道の思想とされいている「草花の命の尊さ」を重視する心が、この時代にはすでに確立していたことがわかります。
現代に残る華道の思想は室町時代に誕生し、大切に守られながら、現代へ受け継がれてきたのですね。
江戸時代:華道の隆盛と庶民への普及
江戸時代になると、町人にも生け花が広がります。
小間(小さな部屋)や茶室にも花が生けられるようになり、いけばなについての書物もたくさん作られ刊行されるなど流行となったようです。
そして多くの弟子を生み出すようになり、生け花人口の規模が大きく広がった時期でもありました。
これまで生け花の中心は貴族や武士でしたが、この時代からは町人が生け花の中心となっていきます。
江戸時代の文化と華道
日本の歴史上で一番長い、江戸時代。
265年間もつづいた江戸時代は、実は印刷技術が大きく発展した時期でもあり、浮世絵などの多色刷りの芸術品が誕生した時期でもあります。
この印刷技術の発展によって書物がたくさん普及するようになり、その中に生け花に関する書物もありました。
書物によって、町人たちも生け花の知識に触れることができ、生け花は「町人のたしなみ」として広がっていったそうです。
また、この江戸時代では華道につかう花の種類も増えていき、作品もダイナミックに変化していきます。
中でも、池坊の門弟が高さ9メートルに及ぶ巨大な立花を製作し、この作品が琉球(当時の沖縄)地方からも話題になり入門者が出るなど、全国的な広まりをみせるようになります。
華道における新たな流派とスタイル
江戸時代の初期まで、華道は男性が行うものでした。
しかし江戸中期になると、いけばなは「お客様をもてなすための教養」として武家や商家の娘、花魁の教養として女性にも浸透しはじめます。
このような変化の影響もあり、池坊の門弟生は数万人規模まで急増。
また華道が広がる中で、古流や未生流など現代にも伝わる流派がたくさん誕生し、家元制度が出てきたのもこの時代です。
近代から現代へ:伝統と革新
江戸時代の後期になると、生け花の技法にも変化が起こります。
それまで自然の草木の枝振りを生かす技法が中心であったのが、幹を切り継ぎ、思うままの樹形をつくる「幹作り」というものに変化しました。
さらに花材である「役枝」が7つから9つへ変わるなど、伝統を引き継ぎながらも生け花の中に革新が起こっていきます。
江戸時代は技術の発展や華道の急速な広まりによって、技法や作風にも大きな変化が起こった時代であることがわかりますね。
明治維新以降の華道の変遷
明治維新によって首都が京都から東京へ移された頃、華道はさらに大きな変化を遂げます。
それは女学校の教育にいけばなを導入したことなどによる、女性のいけばな人口の増加。
現代では華道というと女性人口が多いイメージがありますが、実は明治維新まではまだまだ男性によるいけばな人口の方が多かったのです。
この女学校の教育への導入により、華道は「女性の嗜み」という位置づけに変化しました。
この頃から華道やいけばなが大衆にも浸透し、生花教室が多く開かれるようになります。
現代における華道の役割と挑戦
西洋の文化が入ってきたことによって、現代の華道はさらなる変化が起こっています。
それまであった日本独自の華道に加え、フラワーアレンジメントやブリザードフラワーといった海外の花の文化も流入してきたうえ、人々の生活スタイルにも大きな変化が起こったからです。
たとえば、それまで和室や床の間を主役としていた住居も、洋間が中心になったり玄関にシューズクローゼットが登場したり。
時代の変化を受け、現代では生け花は型や場所にとらわれないものになりつつあり、近年ではプロジェクションマッピングや絵画、演劇とのコラボレーションなども行われています。
また時代の変化で言うと、共働きの家族が増えたことも大きな特徴でしょう。
男性も女性も忙しい毎日を送る中で、自然や季節を楽しむことは贅沢品でもあり、リラックス効果を感じる人も多いです。
元々はおもてなしとして嗜まれていた華道は、時代の移り変わりの中で「特別な贅沢品」という位置づけにも変わり、花を生けることに心地よさや癒し効果を感じる人も増え、習い事としても再注目されています。
華道の技法と哲学
西洋の文化が入ってきてから、華道では個性を尊重する「自由花」が定着するようになります。
ただし個性を尊重しても、あくまで主役は「花」と考えるのが華道の哲学。
「数少なきは心探し」とも言われていて、一輪一輪の花にたっぷりおもてなしの気持ちを注ぎ、少ない花材で美しい作品を作ることを良しとしているのも変わらない点です。
これが西洋の文化が入り、時代の変化があった現代でも変わらない華道の哲学と技法であり、海外からも支持をされるようになります。
海外での華道の受容と影響
現在では華道は海外にも広がりを見せており、華道の元祖である池坊で見ると、海外支部の数は120以上。※2024年1月現在
さらに英語や中国語での花伝書も発行されるなど、海外でも支持されています。
華道が海外から支持される理由は哲学だけでなく、フラワーアレンジメントとの違いにもあると言えるでしょう。
華道では、より少ない花材で「空間の美」をみせるという部分が大きな違いであり、海外の人たちからは新鮮で魅力的に映るようです。
華道の未来と可能性
これからの華道は、どのように変化していくのでしょうか。
未来の華道は、より削ぎ落した生け方に変わるのではないかと言われています。
そして生ける人の個性を重視した、型にとらわれない芸術へと変化していくことでしょう。
展示の場所もさまざまになり、映像や音楽、演劇といった技術や芸術とのコラボレーションなど、より身近な存在として私たちを楽しませてくれるのではないでしょうか。
現代人の忙しいライフスタイルの中に癒しと感動を与えてくれる存在として、未来へも受け継いでいきたいですね。
まとめ|華道、時を超える美の伝統
日本の誇るべき伝統文化である「華道」ですが、その歴史、そしてこの現代まで受け継ぐために先人たちが行ってきた努力を知ると、より一層誇らしく魅力的に思えますよね。
これまでも生け花は、室町時代に確立された技法を脈々と受け継ぎながら、時代の流れを吸収しながら500年以上も発展し続けてきました。
まだまだ時代の変化に合わせた、華道の変化と挑戦は続いています。
私たちも日本人として、その挑戦を見守りながら伝統を受け継いでいきましょう。
【参考】
私たちは日本独自のおもてなし文化を世界の人々に広めるために日夜努力しています。外国人ゲストの接待・おもてなしに関するご相談もお気軽にお問い合わせください。