着物の歴史はいつから?平安時代~現代までの着物の進化を簡単に解説

モテナス代表
モテナス代表

世界でも「KIMONO」として愛されている、日本の着物。

現代では日本人が着る頻度こそ減っていますが、海外ではセレブが愛用するほど有名な存在です。

今回はそんな【着物の歴史】を解説していきます。

1000年以上の着物の歴史を分かりやすく解説していくので、最後まで読んでみてください。

そしてぜひ、外国人の方との接待の話題にも使ってみてくださいね。

目次

着物の源流と発祥

着物の源流と発祥

まずは、着物の源流と発祥からみていきましょう。

「着物」とは?源流は中国の衣服?

着物の歴史を知る前に、着物とは一体どんな衣服を指すのでしょうか?

実は着物とは、そもそも「着るもの」という意味で使われていました。

日本で衣服として布が着られるようになったのは縄文時代ごろだと考えられていますが、弥生時代になると中国(当時の「隋」「唐」)の衣服に強く影響を受けるように。

男性は「上着+ズボン状の服」女性は「上着+スカート状の服」といったスタイルが貴族を中心に広まり、これが着物の源流とも考えられています。

その頃の日本は遣隋使や遣唐使を送るなど大陸と積極的に交流をしており、服装を含めて文化や政治の面で中国からの影響を受けていました。

ところが、平安時代になると日本独自の文化が育っていくこととなります。

平安時代|着物の原型「十二単」が誕生

ハッキリとした着物の原型が出現したのは、平安時代のこと。

遣唐使が廃止され、それまでの唐風の服装が日本独自のものへ変化していきます。

そして、この時代に生まれたのが貴族女性の着物「十二単(じゅうにひとえ)」。

▼十二単のイメージ
十二単のイメージ

十二単は「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなり、髪型は大垂髪(おすべらかし)が基本」(引用元:十二単の基礎知識 | 知りたい | 一般財団法人 民族衣裳文化普及協会 (wagokoro.com))で、宮中や儀式のために着用されました。

十二単は色の違う着物を重ねる華やかな色合いが特徴ですが、それぞれの着物は布団のような大きさであったため総重量は約10kgだったとも言われています。

一方で、平安時代の【庶民の着物】は貴族とは違っていました。

まず、男性庶民が着ていたのは「直垂(ひたたれ)」という着物。

▼平安時代の庶民男性の服装イメージ
平安時代の庶民男性の服装イメージ

上半身に直垂(ひたたれ)、下半身は「小袴(こばかま)」と呼ばれる、裾が絞られた袴を履いていたようです。

この直垂(ひたたれ)は、後に男性武士から注目され進化をしていくこととなります。

そして、女性の着物は「小袖(こそで)」の上に「褶(しびら)」を羽織るスタイルが一般的でした。

▼平安時代の庶民女性の服装イメージ
平安時代の庶民女性の服装イメージ

  • 小袖(こそで)
    …袖幅が狭く、丈の短い着物
  • 褶(しびら)
    …腰に巻く、襞(ひだ)のある着物

十二単だけでなく、庶民女性が着ていた「小袖(こそで)」も現代の着物の原型になったとされています。

また、小袖(こそで)は平安時代の貴族女性の下着としても着用されており、平安時代は身分によって服装が大きく異なっていた時代でもありました。

貴族女性の十二単をはじめとした平安時代の服装は【現代の着物の原型】とされており、時代が進むにつれて簡略化されながら変化していきます。

鎌倉時代|武士文化の中で進化した着物

鎌倉時代になると、貴族中心の文化から武士文化へと変化していきます。

そして武士たちの勢いが増す中で、先述した男性庶民の着物「直垂(ひたたれ)」の機能性が注目されるようになりました。

直垂(ひたたれ)が武士の正式な着物として広まっていき、着物(直垂)に木綿を入れた「直垂衾(ひたたれぶすま)」という【着物型のふとん】も誕生したのだとか。

直垂衾(ひたたれぶすま)は公家や貴族にも親しまれ、昼間は着物として着用、夜はふとんとして使用されていたそうです。

武士が中心の世の中へ移り変わったことで、着物もより動きやすく、実用的なかたちへと進化したことがわかりますね。

江戸時代|着物文化の全盛期

江戸時代|着物文化の全盛期

江戸時代は、着物文化が全盛期を迎えます。

鎖国がおこなわれたことで、日本独自の文化が育っていきました。

また、町人たちの経済力が高まったことで【町人文化】の勢いが加速した時代でもあります。

彼らの勢いを象徴するかのように、着物文化は華やかで規模の大きなものへと進化していきました。

藩や身分で着物の模様・素材が区分け

江戸時代の着物文化の特徴は、藩や身分によって着物の模様・素材が区分けされていたこと。

「藩」とは今でいう自治体のような地方ごとの区分で、藩ごとに着物の模様が定められていたようです。

また「武士」「町人」といった身分によっても着物の素材が決められており、とくに町人や農民たちは、着物の素材が【木綿】などの布地で限定されていました。

このような着物の制限がある中で、町人たちはファッションを楽しむために工夫を凝らすようになります。

着物小物や帯の結び方が多様化

江戸時代は。小物や帯の結び方が一気に多様化します。

とくに着物に合わせる小物として、女性の髪飾りである「かんざし」「櫛(くし)」といったものが人気に。

時代劇などでも登場することが多いので、みなさんもなじみのある和小物だと思います。

なかでも「かんざし」は身分に関係なく、庶民や武家の女性たちから愛された髪飾りでした。

デザインも楕円型や細身など様々なものが作られ「漆」や「透かし彫り」と呼ばれる職人技が込められたかんざしも作られたそう。

櫛(くし)は木製のもののほか「べっこう」や「象牙(ぞうげ)」といった高価な櫛もあり、女性たちの憧れの対象に。

一方、男性の間では「袋物」が流行し、現代のファッションで言うバッグのような袋が持ち歩かれていました。

煙草の葉などを入れる「煙草入れ」、懐紙や鏡などを入れる「紙入れ」と呼ばれる袋もあり、現代人のように嗜好品や身だしなみグッズを持ち運んでいたそうです。

時代劇で有名な「印籠(いんろう)」も袋物の1種で、薬入れとして持ち運ばれていたほか、ファッション小物として取り入れる男性も多かったようですよ。

また、江戸時代の着物のアイコンとして人気だったのが歌舞伎役者たち。

女性たちは歌舞伎役者たちの帯の結び方をマネて、さまざまな帯の結び方を流行させたようです。

帯も幅が広く長いものへと変化しリバーシブルの帯も流行するなど、現代の着物の基礎が出きあがった時代でした。

明治~現在|西洋化により着物が特別な存在へ

明治~現在|西洋化により着物が特別な存在へ

明治時代に入ると、明治維新により西洋の文化が一気に流入します。

これにより、江戸時代までの着物文化は変革期を迎えることとなりました。

「着物+洋装」のスタイルが誕生

西洋の文化が入ってくると「着物+洋装」のスタイルが誕生。

たとえば着物に西洋の傘を合わせたり、着物に西洋のレースを取り入れたスタイルなどはみなさんも想像しやすいかと思います。

中には「Yシャツ+ネクタイ」といった洋装の上に、着物を羽織ったスタイルを披露するファッショニスタも。

▼明治時代の着物のイメージ画像

人々が、時代の変化の中で着物ファッションを楽しんでいた風潮がうかがえますね。

戦時下による「国民服令」の制定

服装のスタイルが変わっていく中で、日本は2回の大きな戦争を経験します。

その中で着物にも影響を与えたのは、第2次世界大戦時戦の「国民服令」の制定。

国民服令が制定されたのは1940年(昭和15年)のことで、男性・女性ともに厳しく服装の指定がされました。

これにより、着物文化は一気に下火へと変化していきます。

伝統行事の中に残る着物文化

着物文化が下火になってもなお、伝統行事には着物を着る文化が根強く残りました。

たとえば、七五三や成人式を思い浮かべてもらうと分かりやすいでしょう。

もちろんスーツやドレスといった洋装を好む人もいますが、現代でもこういった人生の節目になる伝統行事には着物を着る風潮が強くあります。

江戸時代までは「着物=普段着」でしたが、現代では「着物=特別な日に着るもの」という立ち位置に。

着物を日常的に着る人が減った一方で、日本人にとって着物は特別な存在として残り続けています。

これからの着物とは|着物ブームが再来中…?

これからの着物とは|着物ブームが再来中…?

着物よりも洋服が主流になった現代ですが、実は今の時代でも着物は時代に合わせて変化をし続けています。

ここからは、現代における着物の移り変わりをみていきましょう。

SNS世代を中心に着物が人気に

今、着物はSNS世代を中心に再び人気の存在となっています。

とくに京都や浅草といった、古き良き和風な街並みを現存している観光地では着物をレンタルできるお店もたくさんあります。

着物レンタルはとくに女性やカップルに人気で、日常から離れタイムスリップしたような感覚を味わえるのも魅力です。

着物の着付け、ヘアスタイルまで担当してくれるレンタルショップも多く、普段とは違った自分たちを写真でSNSに残せることも人気の理由でしょう。

SNS世代はファッションの趣向も多様化していますが、彼らに合わせたように着物の色や柄も多様化。

たとえば鮮やかな色からパステルカラー、ブーツやグローブを合わせたスタイルなど、現代の若者のファッション趣向にも受け入れられやすい着物へと変化している様子が伺えます。

また、夏のお祭りシーズンには「浴衣」もたくさん販売され、各ファッションブランドから毎年さまざまな色・柄の浴衣が販売されています。

海外セレブからも愛される着物

着物は海外セレブからも愛される存在となっています。

たとえば世界的バンド「クイーン」のボーカルとして活躍したフレディ・マーキュリーは、コンサートの衣装や私生活で着物を愛用していたことが知られています。

また、歌手のマドンナは着物風にデザインされた衣装でグラミー賞のステージを飾ったことも。

(参考:世界のセレブたちに影響を与えた日本の着物文化:V&Aミュージアム「KIMONO展」に潜入 (elle.com)

ほかにも着物をガウン風に着こなし、ファッションアイテムとして取り入れるセレブも多く、個性的でクールなアイテムとして愛されています。

まとめ

まとめ

はじまりは中国の衣服から影響を受け、日本独自の文化として発展していった着物。

柄や素材、色合いなどは時代それぞれの風潮を反映しつつも、日本人の内面にある美意識は変わらずに受け継がれているように感じます。

だからこそ現代の若者たちからも人気を集め、伝統行事の中にも残り続けているのではないでしょうか。

そのうえで海外の人々にも美しさが支持され、西洋の文化とも融合しながら変化をし続けています。

日本らしい伝統は受け継ぎつつも、これからも変わり続ける着物の可能性に期待したいですね。

【参考サイト】
日本の生活(縄文〜江戸時代)/ホームメイト (touken-world.jp)

【参考文献】
・図解 日本の装束(2008年12月4日出版、池上良太・著)

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