【牛殺しの大山倍達】 伝説の空手家の名言&エピソードを紹介

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大山倍達(おおやまますたつ)。空手や格闘技がお好きな方は、一度はその名前を聞いたことがあるのではないでしょうか? 極真会館の創設者であり、今なお数多くの伝説や逸話が語られ続ける伝説的な存在です。 今回は、伝説の空手家である大山倍達について、彼の人生や目指した理想の空手、ファンに愛される伝説などをご紹介します。
目次

大山倍達(おおやまますたつ)とは

大山倍達(おおやまますたつ)は極真空手を確立した空手家です。

国際空手道連盟総裁、極真会館館長を歴任し、その存在感や規格外のエピソードの数々から今もなお伝説的な存在として世界中から尊敬を集めています。

そんな大山倍達の生涯を簡単に年表にまとめました。大山倍達の年表は視点によって内容が大きく変わりますが、今回は極真会館のプロフィールをはじめ、複数の情報源から重要な出来事を抜粋しました。

年代主な出来事/有名な逸話
1923年(日本の戸籍上の生まれ年、韓国での戸籍では1922年)日本植民地下の朝鮮半島全羅北道の富農・崔承鉉の四男として生まれる
1931年満州で暮らす姉の元へ預けられ、武術の達人・李相志から「借力(チャクリキ)」という武術を教わる
1937年~1939年釜山で空手の師となる曹寧柱(そうねいちゅう)と出会う。日本へ渡り山梨航空技術学校に入学
1946年早稲田大学体育学科に入学。10月には大学を中退し、身延山に入山したとされる。
1947年9月戦後初の全日本空手道選手権で優勝
1948年千葉県安房郡の清澄山に入山し、18か月に渡る修行を行う
1950年千葉県館山で牛と対決し、47頭を倒す。4頭は即死。
1951年進駐軍からの要請を受け、米軍に空手の指導を行う。
1952年アメリカに渡り、空手指導や演武を行う。プロレスの興行や格闘ショーにも参加し、ビール瓶斬り、硬貨曲げなども披露する。
1964年極真会館総本部竣工、国際空手道連盟発足
参考:歴史 | Mas Oyama
大山倍達総裁 紹介|極真会館とは|極真会館
大山倍達はいかにして猛牛に勝ったのか…アメリカ人も熱狂した、ヤバすぎる「最強伝説」(週刊現代)
新潮社「大山倍達 正伝」(小島一志・塚本佳子)

大山倍達が創設した極真空手の特徴は”直接打撃制(フルコンタクト)”。他の流派で主流だった寸止めや軽くあてるライトコンタクトとは一線を画すものでした。

東京オリンピックから正式種目として採用された主流派の空手では、寸止めで技を相手に当てません。大山倍達はこうした空手のことを「ラジオ体操空手」と、厳しい言葉で評したそうです。

参考:大山倍達はいかにして猛牛に勝ったのか…アメリカ人も熱狂した、ヤバすぎる「最強伝説」(週刊現代)

極真空手を流派として確立するのは難しかったものの、大山倍達の空手家としての実力やたくみなメディア戦略などにより国内外で知名度と人気をぐっと高めることに成功しました。

そして大山倍達をモデルとした空手漫画「空手バカ一代」の大ヒットもあり、1970年代には日本中で空前の極真空手ブームを巻き起こしました。

極真空手創設後も年に1回のオープントーナメント全日本空手道選手権大会、4年に1回のオープントーナメント全世界空手道選手権大会を立ち上げ、流派に関わらず空手界を盛り上げるシステムを作り上げました。

喧嘩空手の大山倍達(極真空手を創設する前)

大山倍達は血気盛んな少年時代を過ごし、喧嘩に明け暮れていました。

日本に渡る前には韓国YMCAでボクシングなどを習っていたこともあり、もともと型や演武よりも実践的な武術を好み、寸止めの空手には疑問を抱いてました。

日本に渡ってからもさまざまな流派で学びましたが、どれも自分の理想とする空手とはほど遠いと感じ、結果的に伝統的な流派とは離れています。その後、直接攻撃ありの極真空手を創始するために、柔道や合気道、ムエタイなど国内外のさまざまな武術や格闘技を学んだそうです。

倍達は青年時代になっても喧嘩っ早さは健在で、終戦直後には米兵相手に喧嘩を売り女性を助けていたと自ら語ることもありました。こうしたエピソードは映画「けんか空手 極真拳」(1975年公開 千葉真一主演)の中でも描かれています。

時には大きな米兵も倒していたそうで、そのような行為がヤクザの目につき、暴力団の幹部や空手界の重鎮、政治家の用心棒までつとめるほどその腕が買われていたそうです。

終戦直後ということもあり、日本を占領していた進駐軍に反抗したという罪で指名手配されていたという伝説が残るなど、若き日の武勇伝には事欠きません。

空手バカ一代

週刊少年マガジンに1971年から1977年まで連載されていた、「空手バカ一代。」は日本に空前の空手ブームを巻き起こしました。

原作は梶原一騎、作画はつのだじろう・影丸譲也という豪華な作家によって生み出された大山倍達の伝記的作品で、当時の少年達の心をわしづかみにしました。

大山倍達の実話をもとにしたノンフィクション作品、という触れ込みで始まった連載作品で、物語冒頭で「これは事実談であり、この男は実在する」と描かれています。

この作品に触発されて、章圭、増田章、黒澤浩樹などその後の極真空手を担う重要人物が極真会館の門を叩いたそうです。

大山倍達の名言10選

大山倍達は数多くの名言を残したことでも知られています。

大人よ、孤独そうな子には肩を叩き、元気な子には笑顔で声を掛けてやれ。

心にゆとりを持って人に対すれば、笑顔一つで味方がつき、敵を呑む。

キミたちはゴリラが空手を練習しているのを見た事があるか?私はゴリラが空手を練習しているのを見た事がない。だから人間の方が強い。

貯金した努力には実力の利息がつく。浪費した才能には挫折の債務がつく。

口下手は聞き上手になれば良い。不器用な努力家になることだよ。

若いうちに1つ泉を掘っておけ!そこから無数の興味が湧いてくる。

特技を磨くとは自分を磨くことだ。自分をみがくとは自信を磨くことだ。

さらっとした喧嘩の出来る相手こそ、いざという時頼りになる親友だよ。

自分が見えない顔を、人に見られる、それが人生だ。

相手の気持ちを察して発言する、それが本当の意味での敬語だ。

数ある名言の中から、10個選んでみました。心に響いた言葉はありましたか?

大山倍達の名言は自身を律する心がありながら、懐の深さが感じられるところが魅力的ですね。

大山倍達の伝説

大山倍達といえば極真空手の創設者としてだけでなく、彼自身が残したとされる規格外の伝説やエピソードも語り継がれています。

こちらでは、数ある伝説の中から代表的なものをご紹介します。

牛殺しの大山

大山倍達といえば、「牛殺しの大山」という二つ名でも知られています。牛を殺せるとは強烈なフレーズですが、修行の一環で牛と戦いはじめたのが始まりだそう。

初めのうちは牛とは勝負にならなかったそうですが、柔道の組手を学ぶなど戦い方を見つめ直したりして60回以上も牛と対決したといわれています。結果的に47頭の牛を素手で倒し、そのうち4頭の牛は一撃で即死したという伝説が残っています。

牛を殺す映像は1954年に映画「猛牛と戦う空手」の中で公開され、日本中で話題を呼びました。その後もアメリカやメキシコでも牛と戦い、大山倍達の強さをもの語る代名詞になりました。

アメリカ遠征での伝説

1952年にシカゴの空手協会から招かれて、大山倍達はアメリカに渡りました。1年ほどの滞在中に全米32カ所で演武と空手指導をおこないます。

そしてアメリカでは、空手だけでなくプロレスの興行やサーカスのような格闘ショーにも参加したそうです。そこで多くのプロレスラーやプロボクサーと真剣勝負を繰り広げたそうです。

シカゴでは牛との格闘も演じました。手刀で牛の角を折っただけでなく猛牛を一撃で倒したと大きな話題となり、武術としての極真空手の威力を現地の人々に知らしめました。

10円硬貨曲げ

大山倍達は非常に握力の強い空手家だったといわれています。さまざまな逸話があるなかでも、特に有名なのが10円曲げです。

10円硬貨を親指、人差し指、中指で完全に曲げることができたといわれています。

そもそもは重量挙げの若木氏が10銭硬貨を大山の目の前で曲げたことがきっかけで稽古を始めたとも、師である曹寧柱にとよるアドバイスがきっかけともいわれています。

同時に若木氏からは、腕立て伏せ、指立て伏せ、逆立ちなどの稽古の心構えと指導も受けました。

大山倍達自身の著書「強くなれ!我が肉体改造論」によると、修業時代から五本の指の訓練を欠かさなかった結果、若い頃の握力は100キログラムを超えていたそうです。

「10円玉を指先で曲げるとき、人体の極限を超えた動きの人体の副作用というような表現で、全身にじんましんがでる。」という倍達の話をきいた編集長がマガジンで連載を決意したという逸話も語られています。

大山倍達の修行

大山倍達は空手を極めるために2度の山籠もりをしたと語っています。

最初は身延山にこもり、腕立て伏せ、3本指での指立て伏せ、3本指での逆立ちの稽古を8か月間毎日繰り返していたそうです。

次の清澄山では、自分の顔程もある大きな厚みのある石を風呂敷に包み、18か月もの間正拳の稽古に励んだという逸話があり、空手バカ一代でもそのエピソードが描かれています。

伝説は本当だったのか?

さて、ここまで超人的な伝説が語られると、気になるのが「伝説は本当だったのか?」という点ではないでしょうか?

伝説の空手家・大山倍達の死後、その人生や生前に語られなかった真実に迫ろうとする本が何冊も出版されました。

2006年に新潮社から出版された「大山倍達 正伝」(小島一志・塚本佳子 著)では、大山倍達の兄弟へのインタビューや綿密な取材に基づいて大山倍達という人物を丁寧に紐解いています。その中で、「語られている伝説は本当だったのか」という部分にも多くのページが割かれています。

たとえば、満州で老人から伝授された「借力(チャクリキ)」という武術はそれ自体が創作であるだけでなく、倍達は満州で暮らしたことすらない。と兄弟等の証言を引いてはっきり書かれています。

しかし、同書では倍達が、

  • 少年時代からボクシング、柔道、空手、合気道、ムエタイなど国内外のさまざまな武術を貪欲に学んでいたこと
  • アメリカ遠征では実際に他のプロレスラーやボクサーなどと戦って勝利したこと
  • 極真会館では総合格闘技のような過酷な訓練が行われていたこと

などにも触れ、「虚像を取り払っても、大山倍達は魅力的な人物であり、超人的な実力を持った空手家だという事実は揺るがない」といったことも書かれています。

大山倍達がメディア向けに語った伝説や武勇伝は多くが演出であったものの、それは彼が鷹揚で細かいことは気にしない昭和のスターらしい性質だっただけではなく、日本人として世界に打って出るために経歴をうやむやにせざるを得ない部分も確かにあったのだと現代の私たちは理解しておくべきでしょう。

実際のエピソードは語られている伝説よりも凄みがあるものも多く、彼が少年時代からさまざまな武術を学び、時代に翻弄されながらも自身の理想とする武道を追い求め身を粉にして努力を重ねた伝説的な空手家であることには疑いようがありません。

参考文献:「大山倍達 正伝」(小島一志・塚本佳子 著) 2006年 新潮社

大山倍達が目指した極真空手とは

大山倍達が目指した空手とは、相手が力を発揮する前にすべてが終わってしまう戦い方。

「普通の空手ではだめ。一発で牛が倒れるくらいでないとだめ。」と語っています。

けんか空手とも呼ばれた実践的な極真空手は、徐々に世界の武道や格闘技に影響与えるほど巨大な存在に成長していきます。

空手に関する名言だけではなく、生き方についての名言も多く今も語り継がれています。

フルコンタクトの実践的な空手

大山倍達はそれまで主流だった寸止めルールの空手からフルコンタクト(直接打撃制)による極真空手を確立しました。

フルコンタクトの空手は、主流派だった伝統的な空手の流派とは以下のような違いがあります。

極真空手統空手
相手への接触 あり(直接打撃)基本的になし(寸止め)
組手少ない多い
下段(下半身)への攻撃ありなし
勝敗のつけ方一本、技ありポイント制

攻撃を直接相手にあてる極真空手の試合は、技のダイナミックさや打撃音の迫力がケタ違いです。

極真空手の海外への広がり

大山倍達が確立したフルコンタクト(直接打撃制)の空手は、海外の多くの武道家を魅了しました。現在では世界124カ国に1,200以上の道場があり、累計で1,200万人以上の会員(非公認含む)がいるとされています。参考:田畑 繁 – 一般社団法人 国際空手道連盟 極真会館

アンディ・フグやフランシスコ・フィリオといった時代に名を残す名格闘技家も極真空手にルーツを持っています。

海外からのゲストの方に空手を英語で説明されたい方は、こちらの記事もぜひ参考にしてみてください。

外国人のお客様やご友人に空手体験をご紹介されたい方はこちらの記事も参考にしてみてください。

大山倍達は人生、存在そのものが伝説的だった

大山倍達は数多くの伝説や名言を残し、世界で最も成功した空手家の一人です。

極真会館の創設者というあまりにも偉大な功績を持ち、生前からさまざまなメディア戦略によってイメージを作り上げてきたスターであったため、かえってどんな人物なのかわからない部分もあったかもしれません。

逸話の内側をのぞいてみると、大山倍達は伝説的な完全無欠の空手家ではなく、理想の武道を追い求めた泥臭い人間としての一面も持ち合わせていることも分かりました。

大山倍達の残した伝説やそれに基づいて作られた作品はどれも強烈なものばかりです。しかし、これほどまでに多くの人々の心をつかんだのは、伝説やエピソードの内容だけでなく、倍達自身が空手を何よりも空手を愛し魅力的な存在だったからにほかならないでしょう。

彼の死後、極真会館は分裂して複数の派閥が生まれるなどさまざまなドラマはあったものの、倍達の生き様や理想は、今でも色あせることなく空手道の中に生きています。

参考図書:風と拳―小説・大山倍達 修行篇 大下英治(廣済堂出版)

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