【牛殺しの大山倍達とは?】 名言や伝説を紹介

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大山倍達 という名を聞いたことがありますか?空手が好きな方は、一度はその名前をきいたことがあるのではないでしょうか? 極真会館の総領であり、 牛殺しの大山倍達、 指先で十円硬貨をまげる。 など逸話や伝説は数えられないほど。 今回は 空手家 大山倍達に焦点をあて、空手道の歴史やおもしろさをお伝えいたします。
目次

大山倍達とは

伝説の空手家、大山倍達(おおやまますたつ)。

1923年生まれの朝鮮半島出身の武道家であり、国際空手道連盟総裁、極真会館館長。

数々の逸話や伝説を残し、空手の歴史に新しいページを作り出しました。

彼は1964年に国際空手道連盟 極真会館を設立します。

極真会館は、”直接打撃制(フルコンタクト)”を提唱し、 空手の歴史を開拓し、空手の新しい世界をつくりだしました。

“直接打撃制”フルコンタクトは、伝統派空手で一般に採用されている、寸止めやライトコンタクトとは違い、対戦相手に技を直接打撃を与えます。

東京オリンピック正式種目として採用された空手のルールでもある伝統派空手の狭義では、寸止めで技を相手に当てません。

伝統派空手では、型、形の伝承を通じて、その習得と研究、応用を進めます。

そのため、 直接相手に打撃をする空手の流派は、歴史の中でしばしば異端視されていました。

それは空手の長い歴史の中でこれらを体系化することは困難でした。

しかし、大山倍達の実際の空手家としての豪胆さと、実力。

メディア媒体をつかった空手家としては異例のセルフプロデュース能力。

そして空手バカ一代の爆発的なヒットにより極真会館は急成長を果たします。

さらに年に一回のオープントーナメント全日本空手道選手権大会と、四年に一回のオープントーナメント全世界空手道選手権大会を開催。

これらの試合を生み出すことでファンと後継者を増やし、メディアで試合を放映させることで世界中に知名度をつかんでいきます。

これらが重なり、極真会館は人気と知名度を得ることに成功。

こうして戦前から再三挫折を余儀なくされていた直接打撃制の空手は、極真会館がはじめて体系化に成功し、社会的認知を得ることに成功します。

少年時代の生い立ち

大山の少年時代は満州で腕白に育ち、忍者などの強いスーパーマンに憧れて育ちました。

小柄な老人の李相志が、相撲大会での優勝者に簡単に勝ってしまったのをみて、李に弟子入りを志願。李のもとで初めての修行を行い、辛抱を学びその後の修行の道を開きます。

中学を卒業後日本に戻り山梨少年航空学校に入学し空手を学ぶようになる。そのころに吉川英治の「宮本武蔵」に出会い、真の武人の生きざまを目指すことになります。

その後、学徒出陣により特攻隊へ入隊し、そこで終戦を迎えます。

喧嘩空手の大山倍達(極真空手を創設する前)

大山倍達がフルコンタクトの極真空手を創設する前は、大学時代から空手を学んでいました。

戦時中から終戦直後になります。

ただ、そのころから拳は闘うためのものと思い、寸止めの空手には疑問を抱いてました。

寸止めでは無道としての勝敗が決しないと感じ、武道からスポーツになり下がってしまったように失望を感じていました。

また、倍達は終戦直後に日本の女性が赤線で米国兵士に売られている姿を見て怒りを抑えることができず、辻殴り(闇討ち)をして女性を助けていました。

時にはアメリカ人プロレスラーだった巨漢兵士も倒してしまいました。

加えて、そのような行為がヤクザの目につき、用心棒までしてました。

さらには、終戦直後ということもあり、行政をつかさどるアメリカ人に反抗したという罪で指名手配にまでなっていました。

それから大山は空手を武道として極める道を選びます。

大山倍達の修行

そんな大山倍達は空手を極めることに目覚め、山籠もりをします。

腕立て伏せ、3本指での指立て伏せ、3本指での逆立ちの稽古を8カ月間毎日繰り返します。

次の山籠(清澄山)もりでは、自分の顔程もある大きな厚みのある石を風呂敷に包み、18カ月ものあいだ正拳の稽古に励みます。

この修行から大山のフルコンタクトの空手が本格的に始まります。

空手バカ一代

漫画 空手バカ一代。

週刊少年マガジンに1971年から1977年の間、大人気連載されていました。

原作は梶原一騎、画つのだじろう、影丸譲也によって生み出された、大山倍達の半生を描いた伝記的作品。

当時の少年達の心をわしづかみにしました。

大山倍達の実話をもとにしたノンフィクション作品、というふれこみであり、物語冒頭で、“これは事実談であり、この男は実在する ”と宣言されていました。

この作品に触発されて、その後の極真空手を担う重要な選手、松井章圭、増田章、黒澤浩樹などが極真会館の門を叩いたそうです。

大山倍達が目指した空手

大山倍達が目指した空手とは、相手が力を発揮する前にすべてが終わってしまう戦い方。

「普通の空手ではだめ。一発で牛が倒れるくらいでないとだめ。」と自らの言葉で言っています。

宮本武蔵を見習い、また宮本武蔵以上に強くなると断言し、山籠もりの修行を行い、最終的にはフルコンタクトの空手として極真空手を生み出しました。

フルコンタクトによる空手

大山倍達はこれまで疑念を抱いていた寸止めルールの空手からフルコンタクト(直接打撃制)による極真空手を普及しました。

フルコンタクトの空手は試合方法や練習方法が異なります。

練習方法は大山が山籠もりをした時の基礎練習が基となっています。

また試合においてはフルコンタクトである極真空手の試合はお互いの体が思いっきりぶつかり合いますので、その迫力感や音が会場中に伝わりますので、見ている方も圧倒されます。

大山の稽古についてご興味のある方はこちらの動画も参考にしてください。

参考動画:大山 倍達 不滅の直伝 Mas Oyama【極真総本部稽古風景】

海外に広めた極真空手

大山倍達は自らの厳しい修行を通して世界中に極真空手の指導に渡り、極真空手のスタイルが世界中に受け入れられるようになりました。

また大山倍達の門下生も海外で指導することにより、日本の格闘技として世界中に認知度を上げました。

外国人の憧れ

フルコンタクトにより空手は、海外の多くの武道家を魅了し、やがてアンディ・フグやフランシスコ・フィリオと言った名格闘技家が正解中から登場するようになります。

空手を英語説明されたい方こちらの記事も参考にしてみてください。

関連記事:空手を英語で説明 型や種類を正しく伝える方法

外国人のお客様やご友人に空手体験をご紹介されたい方はこちらの記事も参考にしてみてください。

関連記事:【外国人向け 空手体験!】護身術・まわし蹴りの習得とイベント事例

大山倍達の伝説

牛殺しの大山

大山が実際に牛と戦っているシーンにご興味のある方はこちらの動画も参考にしてください。

参考動画:【極真カラテ】牛殺し大山倍達! Kyokushin Karate Mas. Oyama.

1948年から清澄山にて1年6ヶ月山籠もり修行を敢行。

その後下山して、千葉館山で猛牛と対決。

初めうちは牛とは勝負にならなかったが、牛との戦い方を見つめ直し牛との対決を60回以上も挑戦した。

結果的に牛の角を落とし47頭の牛を素手で倒します。

そのうち4頭の牛は一撃で即死。

ここで大山は修行の成果の手ごたえを感じた。

因みに、牛の倒し方はこうです。(風と拳<修行編>より)

外八字立ちに身構え、一突きに全身全霊を込める。

的を確かめるように、左手の拳を突き出す。

軽く、引く。

突き出す。

軽く、引く。

その映像は1954年に映画”猛牛と戦う空手”として公開されました。

その後も渡米して猛牛と素手で戦い、また、メキシコにいっても闘牛と戦います。

渡米での伝説

https://www.instagram.com/p/B6x-NuXJfuY/?utm_source=ig_web_copy_link

1952年、シカゴの空手協会から招かれて、アメリカに渡った大山倍達。

一年ほどの滞在中に、全米32カ所で演武と空手指導をおこないます。

そして、プロレスラーやプロボクサーと真剣勝負を繰り広げ、7戦全勝。

その一年後の後、シカゴで牛と格闘。

手刀で牛の角をおり、猛牛を一撃で倒したことによって、空手の威力に評判を博します。

10円硬貨曲げ

大山倍達は非常に握力の強い空手家だったといわれています。

様々な逸話があるなかでも、ひときわ人々の耳に残る10円曲げ。

10円硬貨を、親指、人差し指、中指の原の部分で完全に曲げることができたといわれています。

そもそもは重量挙げの若木氏が10銭硬貨を大山の目の前で曲げたことがきっかけで稽古を始めました。

若木氏が親指と人差し指の2本指に対し、大山は初めのころは中指も加え3本指で始めました。

同時に若木氏からは、腕立て伏せ、指立て伏せ、逆立ちなどの稽古の心構えと指導も受けました。

自身の著書“強くなれ!我が肉体改造論”によると、若い頃の握力は100キログラムを超え、修業時代から五本の指の訓練を欠かさなかったそうです。

空手バカ一代の漫画の中でもこのエピソードがかたられました。

“十円玉を指先で曲げるとき、人体の極限を超えた動きの人体の副作用というような表現で、全身にじんましんがでる。

“という話をきいた編集長がマガジンで連載を決意した、といういつわがあるほど。

あんな硬い十円硬貨を指でひねり曲げることができるとは、驚きが隠せませんよね。

大山倍達の名言10選

大山倍達は数多くの名言を残したことでも知られています。

空手に関する名言だけではなく、生き方についての名言も多く今も語り継がれています。

• 大人よ、孤独そうな子には肩を叩き、元気な子には笑顔で声を掛けてやれ。

• 心にゆとりを持って人に対すれば、笑顔一つで味方がつき、敵を呑む。

• キミたちはゴリラが空手を練習しているのを見た事があるか?私はゴリラが空手を練習しているのを見た事がない。

だから人間の方が強い。

• 貯金した努力には実力の利息がつく。浪費した才能には挫折の債務がつく。

• 口下手は聞き上手になれば良い。不器用な努力家になることだよ。

• 若いうちに1つ泉を掘っておけ!そこから無数の興味が湧いてくる。

• 特技を磨くとは自分を磨くことだ。自分をみがくとは自信を磨くことだ。

• さらっとした喧嘩の出来る相手こそ、いざという時頼りになる親友だよ。

• 自分が見えない顔を、人に見られる、それが人生だ。

• 相手の気持ちを察して発言する、それが本当の意味での敬語だ。数ある名言の中から、10個、選んでみました。

一つ、自分の信じた道を究めた人だからこそ、深い言葉が泉のように湧いていたのでしょう。

名言は人それぞれの心に響く音が違いますよね。

あなたの心に響いた言葉はありましたか?

大山倍達が極真空手総裁だった時の実際の講話についてご興味のある方はこちらの動画も参考にしてください。

参考動画:極真空手総裁 大山倍達館長講話

まとめ

一人の人間が生涯をとおして、一つの道を究める。

深い歴史があるものは、時にはしがらみや足かせとなり、前進を拒んでしまうものもあるでしょう。

しかし、それだけではとどまらず、折にふれて次のステップへ押し上げる力を引き出される人が現れます。

彼らはそれをとことん全身全霊で受け止め、命のすべてをつかって、全て思いつく限りとことん全力で挑み、歴史の新しいステージを開拓していきます。

大山倍達もそんな一人だったのではないでしょうか?

彼の生き様は、今でも色あせることなく空手道の中に生きています。

参考図書:風と拳<修行編>大下英治

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