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みなさんは「剣道の歴史」について知っていますか?
日本の伝統武道の1つである剣道。
どのような歴史をたどって現代まで受け継がれてきたのかは、意外に知らないですよね。
そこで今回は、平安時代から約1000年もの歴史をもつ「剣道」の軌跡を徹底解説!
紆余曲折を経て、受け継がれてきた「剣道」の歴史を深堀りしていきましょう。
剣道とは?剣術から進化した伝統文化
剣道とは、もともと武士が行っていた「剣術」が進化したものです。
まずは剣術がいつ頃から出現したのか、その歴史からみていきましょう。
平安時代|日本刀が出現する
剣術に欠かせない「日本刀」が出現したのは、平安時代とされています。
もともとは東北地方の部族が騎馬戦の際に使っていたものが原型で、平安時代の中頃に、みなさんの思い描く「鎬(しのぎ)造り」の日本刀が誕生します。
「鎬(しのぎ)造り」とは、刀の刃部分に「鎬(しのぎ)」という筋が入っている造込み(つくりこみ)がある刀のこと。
みなさんも「日本刀」というと、この鎬(しのぎ)造りの刀を思い浮かべますよね。
現代にも伝わる鎬造りの日本刀は、平安時代の中頃、つまり今から約1000年前に作られた形なのです。
そして武家集団を中心に、日本刀をつかった剣術が浸透していきます。
室町時代|剣術にさまざまな流派が誕生する
室町時代になると戦が繰り返し行われるようになり、ますます剣術が盛んになります。
この時代は、相手を斬って勝たなければ自分の身を守ることはできません。
そして出世のためにも、武士たちは自分の剣術を競うように磨いていきました。
これにより剣術にさまざまな流派が誕生します。
中には「新陰流(しんかげりゅう)」や「一刀流(いっとうりゅう)」といった、この時代から現代まで受け継がれている流派もありますよ。
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新陰流(しんかげりゅう)
…戦国時代に創始された流派。攻めと守りを1つとしており、自分から相手を斬りに行くのではなく「相手に技を出させ、自分は攻めずに勝つ」という技法が特徴。
(参考元:新陰流兵法公式サイト ) -
一刀流(いっとうりゅう)
…戦国時代に生み出された流派。敵に勝つことを修行の目的とせず、精神面の修錬に重きをおく。ただし「小野派」「溝口派」といった分派も多いため、それぞれ特徴が異なる。
(参考元:第3回 一刀流中西派の革新 | 全日本剣道連盟 AJKF )
江戸時代|剣道の基礎が作られる
剣術に大きな変化が起こったのは、江戸時代。
それまでは人を斬って勝つことが目的だった剣術が、人格形成も行うものへと変化したのです。
技術面だけではなく、精神面の鍛錬も重要視されるようになり、現代の剣道の基礎ともなっていきます。
竹刀や防具の出現
江戸時代の中頃になると、竹刀や面、小手、胴といった防具が出現します。
この防具を用いて竹刀で打突しあう「打込み稽古法」が生まれ広まりますが、これが現代の剣道の基礎になったとされています。
ここでもまた多くの流派が生まれる一方で、流派の垣根を越えた剣術の試合もたくさん行われたそうです。
江戸の三大道場も誕生する
江戸時代にあった流派は100以上とされていますが、その中でも人気を集める3つの流派が誕生します。
- 「鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)」(士学館)
…勝海舟、ジョン万次郎らのボディガードを努めた岡田以蔵も学んだとされる流派。 - 「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」(玄武館)
…坂本龍馬も学んだとされる流派。後述する明治初期の警視庁への指導も北辰一刀流が用いられた。 - 「神道無念流(しんとうむねんりゅう)」(練兵館)
…初代内閣総理大臣である伊藤博文も学んだとされる流派。
この3つの流派が稽古されていた道場は「江戸の三大道場」と呼ばれ、たくさんの門下生が剣術の稽古に励んだそうです。
そして、誰もが知っている歴史上の人物たちが「江戸の三大道場」から輩出されたとは、驚きですよね。
しかし、ここまで勢いのあった剣術も、時代の流れに翻弄されることとなるのです。
明治時代~大正時代|武士の廃止と帯刀の禁止
明治時代になり、大きく世の中は変わります。
それまでの武士制度が廃止され、刀を持ち歩くことも禁止になりました。
これにより一時は剣術が下火に。
しかし明治維新から10年後、日本史にも残る反乱により剣術は復活の兆しを見せ始めます。
反乱により剣術が復活
明治10年(1877年)に起こった西南戦争が、剣術が再注目されるきっかけになりました。
西南戦争とは、明治維新の中核として政治改革をおこなった西郷隆盛が、自身の出身である薩摩藩を率いて起こした戦争です。
西郷隆盛が率いる薩摩藩が反乱を起こした先は、明治政府。
つまり西郷隆盛は、自身が中心となって作り上げた政府に対して反旗を翻すかたちとなるのですが、この西南戦争は約7ヶ月もつづく日本史に残る戦争となりました。
その結果、薩摩軍は約6,800名、官軍(政府軍)は約6,400名の戦死者を出し、官軍が勝利したことで西南戦争は幕を閉じます。
この戦いでは当初、両軍とも銃を使用していましたが、連日の雨で銃が使用できなくなる場面があったそうです。
その際に使用されたのが刀でした。
旧会津藩士などの優れた剣士も戦争へ送り込まれ、戦いが繰り広げられたそうです。
そしてこの西南戦争が終戦して間もなく、警察が剣術を採用するなど、剣術に再び注目が集まるようになります。
剣術を継承する動きが強まる
西南戦争から18年後の明治28年(1895年)になると、剣術を後世へ継承する動きが強まります。
その1つとして「大日本武徳会」の設立が挙げられますが、この大日本武徳会は昭和21年(1946年)まで続きました。
その後も、一度は解散する場面に直面しながらも再設立、現在まで継承されています。
また同じころには「武士道」という書籍が英文で発表され、これは今もなお海外の人が武道を知るきっかけとなっています。
「剣術」から「剣道」へ
「剣術」から「剣道」と呼ばれるようになったのは、大正元年(1912年)のこと。
この年に「大日本帝国剣道形」という形(かた)が制定され、これが今日でも「日本剣道形」として継承されています。
そしてこれが、はじめて「剣道」という言葉が使われた瞬間でした。
ここから7年後の大正8年(1919年)に、剣術は正式に「剣道」へと名称を変えます。
これは『「武」本来の目的である修養の意味を強調するために、武術や武芸を「武道」に、剣術や撃剣を「剣道」という名称に統一することを主張した。』(引用元:剣道の歴史 | 全日本剣道連盟 AJKF )という意図があったそうです。
戦後~現代|剣道の禁止から復活までの道のり
昭和に入り、日本は第2次世界大戦に敗戦します。
日本は連合軍司令部に占領され、剣道をはじめとした柔道、弓道などの武道が全面禁止になりました。
これは武道によって日本が軍国国家になったと考えられ、禁止になったのではと言われています。
しかし剣道をどうにか継承したい、復活させたいと考えた日本の人々はさまざまな策を思案し、とある西洋のスポーツに目をつけます。
フェンシングに着想を得て、スポーツとして復活
日本を占領していた連合軍司令部は、当時から西洋にあった「フェンシング」はスポーツとして認めていました。
そこで日本も「剣道」という名を捨て、フェンシングを真似た「撓競技(しないきょうぎ)」というスポーツを考案します。
「撓競技(しないきょうぎ)」とは、竹刀を弾力性のある安全なものに改良し、フェンシングを真似た防具の着用、試合時間や審判制を導入する、といった剣道を基にしたスポーツのこと。(参考元:第6回「伝統」について考える|全日本剣道連盟 AJKF )
この先人たちの努力により、剣道はスポーツとして日本に復活します。
その約2年後、昭和27年(1952年)のサンフランシスコ平和条約により日本は占領下から解放され、剣道以外の武道も復活へ。
これを受けて、全日本剣道連盟が設立します。
そして「撓競技(しないきょうぎ)」を吸収する形で、現代の剣道ができあがりました。
はじめての世界剣道選手権大会が開催
昭和45年(1970年)に「第1回 世界剣道選手権大会」が行われます。
初めての世界大会の会場は、東京の日本武道館。
男性の団体戦が開催され、この3日後には大阪で個人戦も開催されました。
それから現在まで3年ごとに世界大会が開かれ、平成9年(1997年)には女性の個人戦、団体戦も開催されています。
国内の中学校で武道必修化へ
近年の剣道にとって大きなできごとの1つに、平成24年(2012年)の国内中学校で武道が必修化されたことが挙げられます。
これは記憶に新しいニュースですよね。
ただ、剣道は武道の中でも竹刀や防具が必要であるため、剣道を授業へ取り入れる学校は少ないことが予想されます。
それでも学生が武道に触れる機会が増えることで、その魅力に気付いたり、大切に継承していきたいという気持ちは高まるのではないでしょうか。
また剣道は部活動として根強く人気でもあるため、学校教育を通してこれからも剣道が未来へと継承されていくことでしょう。
世界への広がりとこれからの剣道
現在、世界の剣道人口は約260万人とされています。
かつて日本の武士が磨き上げた剣術が、今では世界中に愛好者がいる武道へと成長した、と考えると感慨深いですよね。
ここまで世界中で稽古に励む人がいるのなら「剣道をオリンピックの競技にしないのか」という声もありますが、日本側の「剣道をスポーツにしたくない」という想いもあるようです。
剣道は勝つことだけが目的の「スポーツ」ではなく、技と精神のどちらも磨いていく「武道」。
それこそが剣道の魅力であり、先人たちから受け継いできた伝統でもあるので、今後もスポーツとして爆発的な広がりを見せる可能性は低いのかもしれません。
それでも、剣道の「試合相手を尊重する姿勢」や「精神論」に魅力を感じる外国人も多く、そういった人たちが今も世界中で剣道の稽古に励んでいます。
スポーツのように大衆的な人気や知名度を求めるのではなく、剣道の魅力や精神に共鳴した人たちが日々稽古に向き合うことで、これからも大切に引き継がれていくこととなるのではないでしょうか。
まとめ
剣道は、明治維新や戦後の連合国による占領など、幾度も消滅の危機に直面してきました。
それでも先人たちが知恵をしぼり、必死の思いで継承してくれたからこそ、今日の剣道があります。
実生活で日本刀を使うことはなくなり平和な世の中となりましたが、先人たちの想いや精神は今もなお、剣道の中に生き続けています。
この剣道という誇るべき伝統武道を、これからも未来へ引き継いでいきたいですね。
【参考ページ】
「剣道の歴史 | 全日本剣道連盟 AJKF」
【参考文献】
「Jスポーツシリーズ6 剣道」栄花直輝・著(2001年4月出版)
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